2007-05-07
第二次地中海戦争 第二ステージ

seagull logoここで第二ステージの流れを整理
第一ステージは、トルコ本土出国でもめて、北キプロスへ流れたあと、在トルコ日本大使館から貴重な情報を得るまででした。


(北キプロス)
×月×日火曜日 在日トルコ大使館へ電話
日本大使館の勧めもあり、在日トルコ大使館へ電話をすることに。しかし、日本はGW。平日が来るのを首を長くして待っていた。さらに、時差の関係もあるので、朝一で、電話をかけなければならなかった。


(在日トルコ大使館の領事部、秘書S(日本人女性)の応答)

秘書S 「はい、メールの方ですね。上司と相談してメールを返信しますので」
(今回の件について、メールでも在日トルコ大使館に一報を入れていた)

と早口でまくし立てられ、電話を切られるところ、辛うじて話をつなぐも、

秘書S 「一体何処の指示で、ここに連絡してきたんですか」、「大したことできないと思います」

と、あれよあれよという間に言われ、電話が終わる。

アフリカの某日本大使館の書記官ほどじゃなかったけど、非道い電話の応対だった。


30分後くらいか、メールの返事が来た。


**様

下記の件領事に説明いたしましたが、やはり当方にできることはございません。トルコにある日本大使館、総領事館に相談をするのが妥当ではないでしょうか。

トルコ共和国大使館
領事部


メールを受信後、再度、在日トルコ大使館に電話。

秘書S 「なんで在日トルコ大使館に連絡してくるのか?!」、「・・・じゃあ、トルコの日本大使館の”指示”によるものなんですね」

などと、とげとげしく言ってきたり、さかんに念を押してきたりした。とにかく、トルコ大使館はどうすることもできない、と言われ、電話はおわった(生活保護課の受付窓口も、この人なら勤まりそうだった)。

このあと、トルコの日本大使館の領事に、あらためて電話すると、領事もトルコ大使館(の日本人秘書?)の対応にあきれていた。


トルコ政府の一端として、日本の土地に大使館建てて陣取っているくせに。これがあの、イラクから日本人を救出した国のやることか?!そもそも、トルコの税関のミスのせいで、日本人が迷惑しているのだぞ!それを、話すら、取り合おうとしないとは。




トルコの日本大使館の、Y領事は言った。


”もう、決断するしかないんじゃないですか”


情報は出尽くした。ここ北キプロスにこれ以上いても、何も変わらない。




行くしかない。トルコ本土へ



一呼吸おいてから、ブログなどに、『トルコ本土へ突撃』する旨、速報を流した

その日の晩にはフェリーに乗り、通関できる保証のないまま、バイク共々、再びトルコ本土、メルシンへ向かった。



(トルコ本土)
×月×日水曜日 朝、トルコ本土のメルシン港に着く
港では、掃除夫から警官まで、みんなし~がるのことを覚えていた。元気か?バイクどうなった?などと声をかけてくる。

税関には、フェリーで着いたドライバー達が、もめながらたむろしていた。なんと、税関職員が寝坊していて、税関が閉まっている、という。あきれたものだ。そうこうしているうちに、やっと職員がやってきて、通関業務は始まった。

なお、この税関の奴に、
「お前、先週だか、先々週だか、ここの税関、開けてなかったよなぁ」
などと言うと、エヘヘ、と笑う。寝坊か忘れていたか、その程度の理由のようだ。おかげで、こっちはその日、フェリーに乗れなかったのだ。一体どういう国だ!?


通関手続きは進む。

もし、何も言われず、ツラこいて通関できてしまえるなら、そうしたかった。
コンピューターにデーターを入力する人が、もうろくジジイで、見ていて歯がゆかった。ナンバーとか氏名とか住所とか、とにかく入力がとろい。やっと入力できたと思ったら、誤操作して、また一から入力し直したり!出国で散々もめたときのマネージャーが来ないうちに早くしてくれ!と、気持ちは焦る。

しかし、最終的に、コンピューターにはじかれたようだった。入国不可の表示が出たようだ。


税関のマネージャーらの棟へ向かう。

出国でもめたときも、通訳して間に入っていた、英語の話せる若いのがいた。おたがい目が合うなり、文句の言い合い。

若いの 「おまえ、よくも日本大使館通して、文句言ってきたな!もう、お前なんか知らん。話すことは何もない。どいてくれ」
と、去ろうとするのを、無理矢理道をふさぎ、こっちも言い返す。

し~がる 「おい、本当は入国できるそうじゃないか!アンカラの中央官庁が言っていたぞ!嘘つきやがったな」

若いのは、仕事があるんだ、と言って無理矢理逃げていった。ほかの中堅を通して、マネージャーと接見させてもらう。ふと気づくと、さっき、逃げていった若いのが、再び通訳として、すぐそばにいた。

マネージャーは、せっかく出国できるように手続きしてやったのに、なんで戻って来やがったんだ!?とでも怒っているようだった。「六ヶ月は再入国できない」、という、トルコ語で書かれた税関の規程を見せてきたりもする。

しかし、マネージャーと通訳の間で、**日がどうのこうのと、トルコ語で言っているのがわかった。こっちは、さかんに、


「**日とは何の日付だ!?今まで聞いていないぞ。見ろ!パスポートの通関欄に##日と書かれているじゃないか。この##は何なんだ!?」

と言って、くってかかった。

しかし、向こうは「それは、問題ではない」「それは、われわれは関心がない」といって、取り合おうとしない。


最終的に、「この件について協議するから、文書で、問題点とどうして欲しいかを書いて提出してくれ」と言われる。


”税関の文書とコンピュータの日付が異なっており、そのため、トルコに再入国できない。アタチュルクの記念碑とか見たいから、何とかしてくれ”

みたいな内容で提出したら、却下、再提出になった。英語の話せる若いのが「Why don't you understand me!?」を繰り返す。

ようやく、こっちも彼の「Why don't you understand me!?」で、言わんとしていることがわかってきた。


”(**日と##日の件にはふれず、とにかく、)バイクがオーバーステイしてたから、本当はバイクの再入国はダメなんだけど、アタチュルクの記念碑とか見たいから、何とかしてくれ”


みたいな文言になって、文書が提出された。現場のトップからさらに、メルシン市の税関トップ?に書類が行き、さらにそこから首都アンカラの中央官庁にFAXが流され、判断を仰ぐ?ということだった。

し~がるについての情報(本件の詳細?)は、別口で現場のトップから上申されるらしい。

これらの手続きが終わるまで、数日がかりだった。


中央官庁からの返事を受け、現場から明日8日に、し~がるの処遇が通告されることに。



バイクを保税倉庫に残したまま、今はジェイハンのネブラン邸に。最後の審判は、明日8日

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し~がるの現在地は、Ceyhan, TURKEYです。青色の地名を、画面右のグーグルマップで検索してみてね。

3 コメント:

dada さんのコメント...

なんか思うようにいかないんですねぇ・・・
大使館の役目っていったい・・(^_^;)

2007年5月8日 12:56

duffydack さんのコメント...

役目は「見聞を広めて本国に報告」=観光です。
ねっSeagullさん!

2007年5月8日 17:18

し~がる さんのコメント...

>dadaさん
在日トルコ大使館の場合、言ってきているのは、「清水」とかいう、日本人女性なんですよねぇ。トルコ語と日本語話せるから雇われているのでしょう。


>duffydackさんへ
****協力隊も似たようなものです。

2007年5月11日 4:36

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