1968年4月、彼はバイクによるアフリカ縦断を目指し、日本を出発した。 余談ですが~ 彼は、「勉強ができなくて」受験戦争から逃げたわけではありません。高校生のときの模擬試験では、早稲田大学の政経に、90%以上合格の判定を出していたそうです。結果として、高三で受験したとき、落ちてしまったようですが。それから、奥さんもいれば、お子さんもいます。
高校卒業後、二年ほど、死に物狂いで働き、旅の資金、100万円ほどを稼いだ。大卒の初任給、3万円の時代である。そして、1968年4月、二十歳の彼は、アフリカへ旅立った。
当時、アフリカの情報は無きに等しい。しかし、彼はアフリカを走りきった。そういう意味で、し~がるは、今の旅行者とは別格だと思っている。
こういう偉業を成し遂げた人は、気安く近づけない存在のように思えそうだが、まったく違う。彼の方からまわりの人に声をかけてきて、誰とでも親しく仲良くする。一度会った人の名前は決して忘れない。その記憶力は脱帽もの。
彼ほどのネームバリューの持ち主なら、スポンサーを取ったりして、鳴り物入りの仰々しい?旅を企画することも可能なはず。しかし、彼はそういうことはしない。雑誌に原稿を出したり、バイク・ツアーに同行することはあっても、あくまで個人?として、旅をしている。謙虚というのではなく、そういう旅でないと、あれこれ縛られて、自分の旅をできなくなるからだと思う。
いやぁ~、すごいもんです。
「飛べ!世界へ!SEAGULL (ブログ2): 海外ツーリングの宴に行ってきました!」の宴に来られなかった方、次の機会にはぜひ、顔を出して、賀曽利さんにも会ってみてくださいね~(って、道祖神のこの宴、今年で最期、って本当?)
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し~がるの現在地は、日本です。青色の地名を、画面右のグーグルマップで検索する人などいないね。
TETSUROH(SUZUKI DJEBEL250XC)で世界を走行。ユーラシア横断、アフリカ一周を達成。そしてロシアを再び横断し、2007年9月19日、樺太から北海道稚内に到着しました。みなさん、応援ありがとうございました。稚内からは、ウィニング・ランとして南下し、10月に無事、帰宅しました。
でもって、その後の徒然日記になっております。
2007-11-08
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- し~がる
- 技術も知識も経験もないまま、TETSUROH(SUZUKI DJEBEL250XC)で日本を出発。
ユーラシア大陸横断、アフリカ大陸一周を達成。そして、再びユーラシア大陸を横断して帰国。
旅の流れは、「飛行機雲(旅の流れ)」でご覧になれます。 現在、日本。
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2 コメント:
19,20の時、アフリカ横断なんて
考えた事ないんですが、
どうしてどうしてバイクでアフリカ横断
と思ったのかしら。。。
こ~ゆ~のって、女性にはわからないのだろうか・・・・。う~ん。(^_^;)
dadaさん、コメントありがとうございます。
スキーヤーが、まだ誰も滑っていない、新雪の上を滑りたがるのと、似ているかもしれません(?!)
また、「自分のバイクで」行くことに意義があるんですよ。
わかるかな~、わかんねぇだろうなぁ~~(かなり古いネタ)(^^
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